何かを選ぶとき、私は世の中の正解よりも、自分の感覚がどう動くかを大切にしたいと思っています。
それは旅においても同じです。私の旅には一つだけ、揺るぎない基準があります。それは「ビーチサンダルを履いて過ごせる場所かどうか」です。
日本でも、夏になれば足元はビーチサンダル。 「靴下を履く」という行為に縛られず、もっと自由に、もっと身軽に。そんな私が辿り着いた、旅の哲学と「黒いアイテム」へのこだわりについてお話しします。
思考を縛らない、圧倒的な開放感
私の海外旅行の行き先が、決まって温かい場所である理由はシンプルです。ただ、ビーチサンダルを履きたいから。
目的地に到着し、靴下を脱ぎ捨ててサンダルに足を通す。その瞬間に、私の旅は本当の意味で始まります。足先を自由にすることは、思考を自由にすること。靴というフィルターを通さず、現地の空気や地面の温度をダイレクトに肌で感じる。その手触りが、旅の記憶をより鮮明にしてくれる気がするのです。
足元が自由になると、不思議とフットワークも軽やかになります。予定になかった路地裏へ迷い込むことも、ふと見つけたテラス席でくつろぐ時間も、すべてが素足に近い感覚のまま、心地よく流れていきます。
黒という「ドレスコード」を携えて
もちろん、移動中の寒さ対策や、現地でスニーカーが必須となる場所を歩くために、一応スニーカーもバックパックには忍ばせています。けれど、それはあくまで「予備」としての存在です。
基本は、装飾を削ぎ落としたミニマルな「黒のビーチサンダル」で過ごします。 なぜ黒なのか。それは、黒を選べばラフになりすぎず、ホテルのラウンジから夕暮れの街角まで、静かに馴染んでくれるからです。この一足があるからこそ、私はTPOを過剰に気にすることなく、どこへでも身軽に出かけていけるのです。
手入れのいらない、道具としての機能美
雨に濡れても、砂に汚れても、さっと水で流せばいい。 趣味の登山やゴルフでは、道具のメンテナンスにそれなりの気を遣います。だからこそ、旅先での足元くらいは、手入れを気にせずタフに扱えるものを選びたい。
機能的で、美しく、手がかからない。 この潔さこそが、私にとっての「理想の道具」のあり方です。メンテナンスという煩わしさから解放される時間は、旅という非日常をより純粋なものにしてくれます。
結論:自分の感覚に、正直でいたい
「ビーチサンダルを履きたいから、温かい国へ行く」
一見すると極端な理由かもしれません。けれど、自分の「快・不快」という感覚に素直に従うことが、結果として自分にとって最高の旅を連れてきてくれます。
スニーカーはバックパックに眠らせたまま、心はいつも素足のままでいたい。 そんな小さなこだわりを大切にすることが、旅を、そして日々の暮らしを、もっと軽やかで心地よいものにしてくれるのだと感じています。
ひとつだけ難点があるとするなら。 一日中ビーサンで歩き回って、ホテルに帰って足の裏が真っ黒になっている自分に気づき、思わず苦笑いしてしまうこと。
でも、その汚れをシャワーでさっと流す瞬間まで含めて、私にとっては愛すべき「旅のひとコマ」なのです。
私がここ数年、旅の相棒として選んでいるのは イパネマ(Ipanema) の一足です。
ビーチサンダルにありがちな「安っぽさ」がなく、しなやかな質感とミニマルなフォルムが気に入っています。驚くほど足馴染みが良く、長時間歩いても疲れにくい。旅先で「これさえあればいい」と思わせてくれる、私の足元における数少ない正解です。

