100円を値切れるのに、なぜ数万円の損切りは遅れるのか。旅と投資、その極端な金銭感覚について

インドの路上でオートリキシャと屋台が並ぶ風景。バックパッカーの旅の記憶。

「スーパーの数十円の安売りには敏感なのに、スマホ画面の数万円の含み損には麻痺してしまう。
そんな「脳のバグ」に悩んでいませんか?」

私はバックパッカーとして、インドを旅したことがある

インドの観光地に着くと、真っ先に始まるのがオートリキシャの運転手との「ガチバトル」だ。
彼らが提示してくる観光客料金に対し、私はスマホのUberアプリを盾にして応戦する。

「Uberの相場はこれだ。これより安くしないなら、私は乗らない」

数十円、数百円の差をめぐって、納得できるドライバーが見つかるまで粘る。
排気ガスにまみれながらも適正価格を勝ち取った瞬間の達成感は、旅人なら共感してくれるはずです。
あの時の私は間違いなく、世界で一番お金にシビアな人間だった。

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画面上の「数万円」と、手触りのある「数百円」の落差

ところが、帰国してPCの前に座ると、そのシビアさはどこへやら。 トレード画面に向かい、クリック一つで、画面上の数字が「数万円」単位で動いていく。

インドであれほど汗をかきながら守り抜いた数百円。その何百倍もの金額が、デジタルな記号として静かに消えていく。このあまりに極端な金銭感覚の落差。 投資家なら誰もが一度は経験する「脳のバグ」のようなものかもしれない。

効率的なリゾートより、混沌のドミトリーを選ぶ理由

もちろん、高級なリゾートで贅沢な時間を過ごすときもある。 けれど、私がバックパックを背負ってわざわざドミトリーに泊まるのは、そこに「交流」があるからだ。
多国籍な旅人が集まる安宿の共用スペースには、ネットには載っていない生の情報が溢れている。
国籍も職業もバラバラな人間たちがビール片手に他愛もない話に興じ、名前も知らない誰かと笑い合う。

旅の間は、相場の喧騒から意識を切り離し、目の前の景色と人との繋がりに没頭する。そうして一度、凝り固まった投資家としての視点を解き放つことで、心身をリセットし、また新しい感覚で日常に戻ることができるのだ。

投資も旅も、どこか似ている気がする

旅先で「騙されないように」と目を光らせるあの感覚は、投資におけるリスク管理に通じるものがあるのかもしれない。 根拠のない急騰に飛び乗ったり、誰かの甘い言葉に誘われて安易にポジションを持つのは、駅前で「今日は祭りで電車が動いていないから、俺の車に乗れ」という嘘を信じて、言い値の金を払うのと少し似ている。

どちらも、自分の判断を他人に預けた瞬間に「カモ」にされてしまう。 投資という効率化されたデジタルな世界にいるからこそ、私はあの泥臭い旅人としての防衛本能を、どこかに残しておきたい。

生存戦略としての「規律」

数百円の重みを肌で知っている、バックパッカーの視点。 そして、数万円の波を乗りこなす、投資家の視点。この両極端な感覚をバランス良く持ち続けることが、私の生存戦略です。
次にまたバックパックを背負い、どこか新しい世界の土を踏むとき。 私は、あの頃よりも少しだけ冷静で、それでいて相変わらずタフな投資家でありたい。

Written by  編集長

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