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「DIE WITH ZERO」に共感できない投資家の本音。資産を増やすこと、それ自体が娯楽

無限大の記号と、『DIE WITH ZERO』に共感できない投資家の本音という記事タイトル

ベストセラー「DIE WITH ZERO」を読みました。なるほどな、と思った部分もあります。

でも本を閉じた時、私はやっぱり、明日も資産を増やすことを考えていました。
「お金は使い切って死ね」というあの本の主張に、心から賛同できなかったのです。否定したいわけではない。ただ、長年投資をやってきた私の生き方には合わなかった、というだけの話。

ちなみに私は億り人ではありません。それでも投資をずっと楽しんでこられたのは、たぶんお金との付き合い方が、世間一般と少しだけズレているからなのだと思います。この記事は、そんな私と同じように『DIE WITH ZERO』にちょっと違和感を覚えた人に向けて書いています。

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『DIE WITH ZERO』の主張を、ざっくりおさらい

念のため本の主張をまとめておくと、こんな感じです。

お金は経験に変えてこそ価値がある。死ぬ時に資産が残っていたら、それはタダ働きしたのと同じ。だから「ゼロで死ね」。

確かに、美しい論理だと思います。「ゼロで死ぬ」というメッセージのインパクトは強烈で、書評を眺めていると「もっとお金を使っていいんだと思えて楽になった」という声が圧倒的に多い。

ただ、この主張にはある一つの前提が入っている気がするのです。それは「お金は使うためにある」という前提。お金を使った瞬間に喜びが生まれて、貯まっているお金はただの紙切れ、という考え方。私はここに、ちょっと首をかしげてしまう。

お金との付き合い方って、人によって全然違う

私の周りを見ていると、お金との関係って驚くほど人によって違うなと思います。なんとなく3パターンに分かれる気がします。

たとえば、お金を「交換チケット」として見ている人たち。経験や物に変えてこそ価値がある、という考え方。『DIE WITH ZERO』が想定しているのは、たぶんこのタイプ。

あるいは、お金を「流れていくもの」として見ている人たち。入ってきて出ていく、川みたいなもの。貯めるという発想がそもそも薄い。友人にも何人かいます、お給料日に全部使い切るタイプの人。

あとは、お金を「数字そのもの」として愛でている人たち。私はたぶんここ。

このタイプにとって、口座残高は単なる数字じゃないんですよね。それ自体がちょっとした作品で、増えていくプロセスが娯楽。待っていた配当が証券口座に入っていた時のささやかな満足感、含み益が更新された日のニヤニヤ。これは「お金を使う喜び」とは全然別の、もう一つのジャンルの感情なのかなと思います。

ちなみに『DIE WITH ZERO』の著者・ビル・パーキンス氏は、ヘッジファンドマネージャーです。天然ガス取引で財を成した人物。本書では「子供への遺産は生前贈与で渡せ」とも説いていて、つまり「増やすこと」を極めた人が、「使い切ること」を勧めているわけです。この構造、なんだか面白いなと思いました。

私が貯金と投資をやめない理由

私には子供がいません。だから死後に財産を遺したい誰かが、特にいるわけではない。
普通に考えたら、これは『DIE WITH ZERO』を実践する最高の条件のはずです。誰にも遺さないなら、自分で使い切るのが一番効率的、というロジック。

でも私は、使い切ろうとは思いません。もちろん現実的には、老後資金は少しずつ取り崩していくつもりです。年金だけで暮らせる時代ではないし、生活費を投資の利益や貯金から補うのは当然のこと。

でも、「ゼロで死ぬ」ことを目指して使い切るのとは違います。たとえ死ぬ時に資産が残っていても、たぶん私は悔いがない。残ったまま死ぬのは別にいい、でも増やすこと自体をやめたくはない。これが私の感覚です。

「使わないなら寄付すればいい」と言われそうですし、本書でも寄付について触れられています。確かにそれは合理的な選択肢で、いずれ私もそうするかもしれません。でも今の私はまだ、増やす途中。「ゴールを決めない」というのが私のスタンスなので、寄付するタイミングや使い切るタイミングを今の時点で決めるつもりはありません。気が向いた時にすればいいし、しないままでもいい。それを自分で選べる自由が、増やし続けることで手に入る。そう思っています。

この感覚、お金を消費財としか見ない人には伝わらないかもしれない。でも投資をやっている人なら、少しわかってもらえる気がします。ポートフォリオを組んで、リバランスして、相場を読んで、資産を育てていく。この一連の作業が、私にとっては生活の主要な楽しみだから。ゲームのハイスコアを更新し続ける人に「そのスコア、誰に見せるの?」と聞くのは、ちょっとズレていますよね。スコアを伸ばすこと自体が目的だから、誰に見せるかは別の話。私のお金との関係も、たぶんそれに近い。

「経験」だけが、人生の豊かさじゃない

本のなかで繰り返されるのは、「思い出だけが最後に残る」というメッセージです。確かに旅行や人との時間は、色褪せない記憶になる。それは本当にそう思う。
ただ、本書は「経験 = 物理的な体験」と暗黙に定義しているように読めるんですよね。海外旅行、コンサート、グルメ、出会い。確かに豊かだけれど、人間の経験ってそれだけでしょうか。

たとえば、長年相場を見続けて積み上げてきた市場感覚。決算書を読み込んでなんとなく身についた、企業を見る目。これらも私にとっては、立派な経験の蓄積。そしてこれを積み上げていくプロセスこそが、生活の手応えそのものなんです。
世界の動きを数字を通して読み解こうとすること。これは私なりの、もう一段深く世界を生きる方法なのかもしれない。資産が増えるのは、その副産物。でも副産物だからこそ、積み上がっていくのが嬉しい。

「使う派」と「貯める派」、どちらも肯定されていい

『DIE WITH ZERO』が日本で売れたのは、たぶん多くの日本人が「使うこと」に罪悪感を持ちすぎているからだと思います。だからこの本は素晴らしい処方箋として機能している。「もっと使っていいんだ」と肩の荷が降りた人がたくさんいる。それは本当に良いことです。

でも世の中には、逆方向で苦しんでいる人もいるんですよね。「貯めること」「増やすこと」のほうに罪悪感を持たされている人たち。「ケチだ」「人生損してる」「お金は使ってこそ」と言われ続けて、自分の楽しみを言語化できなくなっている人。
私はこの記事を、そういう人にも届いたらいいなと思って書いています。

数字が増えるのが楽しい、それは別に恥ずかしいことじゃない。チャートを眺めるのが趣味、それも立派な生きがい。待っていた配当が証券口座に入っているのを確認してニヤニヤするのも、人生の小さな喜びの形です。「使うこと」だけが豊かさじゃない。 増やすことも、考え続けることも、相場と向き合い続けることも、ぜんぶ豊かさの一形態なのだと思います。

私なりの「LIVE WITHOUT ZERO」

『DIE WITH ZERO』はいい本です。多くの人にとっての処方箋になっている。でも、すべての人の人生哲学にはならない。
お金との付き合い方は、性格と価値観で決まる。私はたまたま、増やすことに喜びを感じるタイプの人間でした。だから、その性質を否定せずに生きていきたいなと思っています。

ゴールを決めずに、ただ増やし続ける。使うか、寄付するか、残すか。それを自分のタイミングで選べる自由を、増やすことで手に入れる。今の私は、これが一番しっくりくる生き方なんです。もちろん、この考え方が10年後も変わらないとは限りません。大きな病気をするかもしれないし、誰かの死をきっかけに価値観が揺らぐかもしれない。あるいは、ある日ふと「もう増やすのは飽きた」と思う日が来るかもしれない。それでもいいと思っています。今の私は、増やすことが楽しい。それだけで十分。10年後の私が違うことを言っていたら、その時の私が一番よくわかっているはずだから、そっちを信じればいい。

少なくとも今は、毎朝チャートを開いて市場を眺める時間が好きです。待っていた配当が証券口座に入っていた日はちょっと嬉しい。それが私にとっての人生を豊かにする経験であり、私なりの「LIVE WITHOUT ZERO」です。

この記事で取り上げた本

多くの人の人生観を変えてきた一冊。
「使うこと」に罪悪感がある人ほど、深く刺さるはずです。

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『DIE WITH ZERO』に違和感を覚えた方には、こちらもおすすめです。

タイトルどおり、「淡々と買い続けよ」というシンプルな投資哲学を、データで裏付けた一冊。「ゴールを決めずに増やし続ける」という生き方に共感した人なら、きっと指針になるはずです。

Written by  編集長

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